創業以前創業以前(明治40年頃迄)土佐の人、竹内明太郎の父・竹内綱は、明治19年来唐津市郊外の芳谷炭坑のオーナーとして君臨しつつも、経営の実務と炭坑関連事業は長男・明太郎に委ねていた。 |
社用絵葉書 |
創業当時の会社案内 |
創業期(明治末期)竹内明太郎は炭坑経営の傍ら、明治39年から機械製造事業の準備を始める。要員、設備が整い、生産を開始したのは明治42(1909)年4月15日。我が社の創業日とする。炭坑機械、船舶修理部品製造に次いで、本格的な工作機械製造に着手し、第一号製品、米国 Pratt & Whitneyモデルの14"スイング旋盤6台が完成したのは明治44(1911)年11月であった。 |
14インチスイング旋盤 |
創業者 竹内明太郎 |
大正期竹内鑛業株式会社 唐津鐵工所は、工作機械製造の実績により業界内地位を高め、大正4(1915)年には72"(1829mm)、 84"(2134mm)スイングの大型旋盤を完成。大型機メーカの地歩を築いた。 |
72インチスイング旋盤 |
竹尾年助 |
昭和初期経済恐慌と満州事変に象徴される時代で、我が社でも大型、小型の多彩な機種を製作。高い評価を得て軍工廠や造船所に多数納入された。超大型の代表例40フィートポータブルフェーシングマシンは、昭和6(1931)年に納入され、戦艦の巨大な砲塔を旋回させる船底の巨大なローラベアリングの座、最大径12,250mmを加工した。後に戦艦大和・武蔵等のために44フィート型が4台製造され呉工廠等に納入された。軍本部との密接な連携を要求され、昭和4(1929)年12月に本社を唐津から東京丸の内ビルディング内に移した。 |
8Ft×8Ft×20Ft プレーナー |
7Ft ホブ盤 |
当時の丸の内ビルディング |
昭和20年迄業界内地位は一段と向上し、5大メーカに数えられ、国力を賭した軍備競争の中、特に大型・超大型工作機械と歯車加工機械の分野を担った。戦艦大和・武蔵の口径46cmの主砲の砲身(孔)を仕上げる巨大なガンボーリングマシンは、象徴的製品である。そのスケールと最高度の軍事機密ゆえ、全て最高機密の下に行なわれたため、図面や写真は社内に一切残されず、現地における総合組立も、全て工廠の手により行なわれた。 |
戦艦大和の砲身中ぐり加工(CG) |
戦艦大和の建造中砲塔(CG) CG画像は、双葉社発行の超精密「3Dシリーズ33 大和誕生」より |
12Ft×9Ft×28Ft プラノミラー |
最終艤装中の大和 |
昭和40年迄敗戦から昭和40年迄の工作機械業界は軍需から民需への大転換に呻吟した一時期を終えた後は、高度経済成長による民需の勃興を謳歌した20年間だった。 昭和30年9月、竹尾彦己社長就任。 |
26.5' & 40' エクステンション型立旋盤 |
竹尾彦己 |
1100×5000 ロールグラインダ |
昭和末年迄昭和40年不況、第一次オイルショック、人員整理,数値制御(CNC)による技術革新、海外市場への進出など、様々な課題と直面しつつ、一進一退の様相の中で、ゆるやかな企業成長を遂げた。製品の100%がCNC化した事と輸出比率の拡大が特筆される時代であった。この間、大型・超大型CNC旋盤、CNCロール研削盤、CNC歯車加工機に特化する戦略を推し進めた。 |
L-35N型3,500×10,000 CNC タービンロータ旋盤 |
GSM-12N型CNC 歯車形削り盤 |
平成元年から今日迄日本経済の失われた10年に引きずられる如くに、業界も我が社も苦境の嵐に見舞われたが、後に回復に転じ、力強い回復と拡大の途を辿った。超精密、高精度、複合加工の技術開発が主流となり、我が社の製品もこの流れに沿って改良を続けている。精密整形研削技術を開発し、この分野の新製品がラインに加わった。 |
CLE-15N型CNC クランク軸旋盤 |
FGS-21N型CNC 歯車研削盤 |
L-36N型CNC タービンロータ旋盤 |
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